この仕事をしていると、毎日感動する事がすごく多い。
子供と一緒に笑い合ったり、
子供と一緒に喜んだり、
子供と一緒に残念がったり、
子供と一緒に心底楽しんだりしている。
「一緒になって心から楽しめる」
私はそれが当たり前だと思っていたけれど、
実は当たり前でもないのかなって最近思った。
これって、感性なのかも。
いかに一緒に楽しもうとできるか。
いかに楽しさを見出していけるか。
でもこれは才能でも何でもなく、気持ちの問題なんだと思う。
昔、後輩に
「エンターテイメント系に強いですよね〜。
色んな声出せるし、役に入りきっちゃってるし、すごい。
私には絶対にできないですよ!」
と言われたことがある。
これを聞いて、ちょっとムッとした。
なんで「自分にはできない」と決め付ける?
こういう役は私がやればいいと思っているの?
なんで「自分もそういう技術を磨いていこう」と思わないの?
努力をしてもみないで「できない」と決め付けるなんて言語道断だよね。
「自分もやってみよう」なんて微塵も思っちゃいないんだもん。
ムッとすると同時に悲しくなった。・・・なんでだろう?
あれ?なんか話がものすごーく逸れたな。
元に戻そう。
んー・・・と、つまり、
臆病になってちゃコミュニケーションは図れないって事よ。
愛情表現がちょっと歪んでいる人、
友達に一言が言えない人、
うまく輪の中に入っていけず1歩外から傍観してしまう人、
「あの人よく喋るなぁ...」と自分とは違う世界だと線を引いてしまう人...
大人でも子供でもいるよね。
話しかけても、無愛想に目を逸らして「あ...はい...」としか答えず
そそくさと帰ってしまうお母さんだっているし。
きっと、人とのコミュニケーションに臆病になってるんだろうなって思う。
なんでだろう?
人と接するのが怖いのだろうか?
なんで怖いと感じるのだろうか?
理由を考えてみた。
・・・・もしかして、相手の反応が怖いのだろうか?
それは、相手を信用してないからなのだろうか?
怖くないのに。
きっと周りの人は、心を開いてくれるのを待っているのに。
心を閉ざしたままでは、周りの人も入っていけない。
きっかけは必要かもしれないけど、
最終的に勇気を出してくれないと先には進んでいけないのに。
そういう子供、そういう友達、そういう親御さんを見ると
心が痛くなる。悲しくなる・・・なんでだろう??
「自分の気持ち・思った事を、自分の言葉で相手に伝える」
5領域の1つ『言葉』の月の目標としてよく掲げるけれど、
これって本当はものすごく難しいことなんだろうなって感じた。
大人になればなるほど、きっと、ものすごく、難しいんだと思う。
でも、でも、
やっぱり言ってくれなきゃ分からない。
超能力者じゃないんだから、心なんて読めないよ。
ある程度は読めるかもしれないけど、
やっぱり喋ってくれなくちゃ分からない。
じゃなくちゃ、なんのために言葉があるのか分からないじゃん。
大丈夫。絶対に怖くないから。
きっと受け止めてくれる人は大勢いるから。
・・・なんで、こんな訳分からないネタを今日書いたかというと、
ちょっとそういう子供が最近いたから。(私の幼稚園の子じゃないけど)
しかもそういう親御さんと最近接したから。
更にそういう友達もいたから。
重なったもんで、どうにもこうにももどかしくて書いてしまった。
「人と一緒に心から楽しむ」ことの楽しさと大切さを、
是非、味わってもらいたいだけどな。
心を全開にしろとは言わないからさ。
私だって外では、物分かりのいい頼りになる人ぶってるけど、
本当の本当の気持ちは、『名門幼稚園の主任』の友達にしか言えないし。
でも・・・・
っか〜〜〜!!!! うまく書けないっっ!!!!!!!!