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私の大好きな先生が、
今日をもって、退職されました・・・・(T_T)
私が幼稚園に就職した時には既に働かれていて、
私よりも大先輩の、
とても素敵な先生でした。
いつも優しく、
いつも温かく、
いつも笑顔を絶やさず、
いつも穏やかで、
陽だまりのような先生。
子ども大好きオーラが出まくっていて、
子どもからも好かれていて、
その先生はいつも子どもに囲まれていました。
私なんかの愚痴も、
いつも優しく聞いてくれて、
その先生と話すといつも癒されていました。
大好きな先輩。
大好きな先生。
諸事情により、
年度途中での退職になってしまったけれど、
今までの多大なる功績を思うと、
そんなのチャラって感じです。
実に惜しい人材・・・・
また1人、
宝物の先生を失ったね。
どんな親御さんからも愛されている先生って
なかなかいないよ〜〜。
すごくすごく素敵な先生。
退職は悲しいけれど、
すごく悲しいけれど、
人生はまだまだ続くので、
これからも輝く人生を送ってほしいです。
長い間、本当にお疲れ様でした。
というわけで、
とってもとってもとっても大好きな先生なので、
私は大慰労会を企画することにしました〜〜。
過去の先生たち全員に呼びかけて、
退職祝いをやろうと計画実行中♪
うふふ。
うふふ、じゃないか。
退職は惜しいもんね。
私の心に深く残る先生なだけに、
名残惜しいです・・・。
そして、
私は本当に先輩に恵まれていたな〜って実感します♪
理事長は除外品だけど、
本当に先輩に恵まれていて、
どの先輩からも学ぶことが多くて、
今でも、全ての先輩が尊敬の対象です。
これって、すごい幸せなことだな〜って思う。
失礼ながら、
今の幼稚園ではそうはいかないもん。
一生懸命さの問題?
いや・・違うなぁ。
人間性の問題・・?
う〜〜ん・・・
今は、
ある程度経験して、
知識も考えも持った状態で出会った先輩たちだから、
私が生意気にも失礼ながら評価しちゃってるところがあるんだろうな。
まっさらの状態で出会った1年目からの先輩ってのは、
何もかもが「先輩ってすご〜い」の対象だったからかも。
いや・・・違う。
違うと思う。
経験を積んでから出合ったとしても、
やっぱり尊敬できる考えと行動力と指導力だもん。
そんな先輩に囲まれて仕事ができていたこと、
今更ながら光栄に思います。
そんな中の1人の退職は、
やっぱり寂しいものであります・・・。
本当に、長い間お疲れ様でした(;_;)
ブログでこんなこと書いて、ごめんなさ〜い。
学年の話し合いの中で出た課題として、
「友達にもっと関心を持つには」
が上げられていた。
好きな遊びを見つけられるようになってはきたが、
友達に目がいかないというのだ。
友達に目がいったとしても、
「あの子」
「この子」
と呼んでいて、なかなか名前を覚えないので
友達・友達の名前に関心を持つためには
幼稚園ではどういう援助をしたらいいのか、
というのを話し合っていた。
その話を横で聞きながら、
簡単じゃね?って思った私。
あのね、
その幼稚園、
出席をとってないのよ。
まずちゃんと毎日出席をとれば?って思ったね。
前の幼稚園では当たり前のように毎日出席をとっていたわけ。
必ず、毎日。
クラス全員が揃って椅子に座っている状態で、
「出席をとります」
といって出席を取り始めるのね。
1人ずつ名前を呼んでいき、
名前を呼ばれたら「は〜い」と返事して手をあげる。
これを毎日やるわけ。
そしたらさ、
子どもは友達の名前を覚えるでしょ。
そりゃ〜最初は何となく毎日聞いているだけよ。
でも、この「なんとなく」が実がすごくて。
「なんとなく」聞いているだけなのに、
子どもってちゃんと覚えているのよ〜。
時々、1人とばして呼んじゃったりなんかすると、
すぐに子どもから
「違うよ」
って言われるし。
順番を全部覚えている子どもだっている。
毎日毎日出席をとるからこそなせる業だよね。
友達の名前だって、これで覚えられる。
誰が誰だか分からなくても、
友達の名前を音として覚えていける。
そのうち、
「は〜い」と手をあげて返事をしているわけだから、
それも併せて見ている子どもだと、
名前と顔が一致するようにもなってくる。
そうでなくても、
普段の遊びの中で顔は見ているわけだし、
そこに先生が
「みどりちゃん」とか呼ぶと、
子どもは
「ああ。この子がみどりちゃんか〜。
●●みどりちゃん、だ。」
と、そこで出席をとっている場面がフラッシュバックされ
突然、名前と顔が一致する、ってこともある。
出席をとる、ってのは
こういう意味合いもあるのだ。
ただ単に、先生が出欠を確認するためだけのものじゃないんだよ。
あげようと思えば、もっとあるよ。
子どもは名前で呼ばれることに慣れていて、
苗字で呼ばれる機会はまずない。
例えば、「斉藤みどり」ちゃんって子がいたとしましょう。
当たり前だけど、
子どもに対して「斉藤さん」とか、親は呼ばないでしょ。
親も近所の人も名前で呼ぶでしょ。
だから、子どもは自分が「斉藤さん」だとは思ってないわけ。
「みどりちゃん」であって「斉藤さん」ではない。
家でよくお母さんお父さんが、
親「斉藤みどりちゃ〜ん」
子「は〜い」
と返事をする練習とかは小さいうちからやってはいるけど、
それは子どもにとって、
「斉藤さん=自分」という意識には繋がってはいないんだよね。
全く同じことをしているだけなんだけど、
幼稚園だと「斉藤さん=自分」に繋がっていくのよ。
なんでなのかは分からないんだけど、
不思議とそうなんだよね。
そりゃ、最初は「は?」って顔はするんだけど。
というか、
苗字=自分となるように、
先生が時々苗字で呼ぶからかもしれない。
少なくとも私はそうしてたな。
いつも、
「みどりちゃん」とか「みーちゃん」とか呼んでるくせに
時々わざと「斉藤さん」とか呼ぶの(^^)
他人行儀にしているわけじゃなくて、
苗字も自分のことなんだよって意味で。
毎日毎日フルネームで出席をとっているからこそ、
そういうのも身に付いていくわけよ。
あと、
声を出して返事をするってのも、
出席をとることの意義でもある。
「声を出す」ってのは、とっても大事なこと。
挨拶にしたって、声を出さなくちゃ意味がない。
挨拶の大切さは散々書いてきたので
ここでは省くけど。
声を出す、
大きな声で返事をする、
ってのは、
とっても意味のあることなんだ。
いつでもお喋り上手な子・挨拶上手な子もいるけど、
なかには、
なかなか喋らない子、自分の意見を言わない子もいる。
そういう子に対して、
出席をとることで声を発する機会を設けるってのは
とっても意味のある行為。
毎日出席をとれば、
毎日必ず1回はそういう機会が与えられるわけです。
小さなことかもしれないけど、
1日1日の積み重ねってとっても大事なんです。
その小さな積み重ねが、
のちに大きな実を結ぶことだって多々あるんだから。
そんなわけで、
出席をとる、ってのはとっても有意義なことなんです。
出席も取らずに
「友達に関心を示す」「名前を覚えられない」
って問題を抱えているくらいなら、
まず、
全員が揃った状態で、
毎日欠かさず出席を取ってみたら?
って思います。
今の立場上、絶対に言えないので
ここで書いてみました・・・・。
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*コメントスペースにて私が書いたお返事の内容を
本文に付け足したくなったので、
そのまんま こちらに追記させて頂きます。
出席を取るということは、欠席の子の名前も呼ぶということ。
出席をしている子は「は〜い」と返事をしますが、
欠席の子は返事ができませんよね?
だから私は、クラス全員で
「おやすみです」
とみんなで『返事』をしてもらっていました。
私は・・というか、幼稚園どのクラスもですけど。
「おやすみです」と返事をするということは、
出席を取る前に既にその子が休みだとみんな知っているわけです。
別にママ同士のメールのやり取りで知っているわけではなく、
登園してきて、
ちゃ〜んと「いない」と気が付いているんですよね。
空席でも分かるし。
そして「おやすみです」とクラスみんなで言ったあとに、
私が『欠席の理由』を説明し、
「早く元気になるといいね」等と一言。
で、休んでいた子が出席したら、
出席を取って返事をした時に
「元気になってよかったね♪」と一言。
それを毎日やっているので、
お休みの子がいると子ども達からも
「早く元気になるといいね〜」という言葉が出てくるし、
休んでいた子がくると子ども達も
「○○ちゃんが来た〜♪」「元気になってよかったね♪」
と言うようになるわけです(^^)
教師発信ですが、
確実に子どもの心に浸透している思いやりだなって思います(^^)
『出席をとる』って、
本当にメリットだらけなんですよね♪
出席を取らない幼稚園は、
本当にもったいないことをしてますよね〜・・・